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メッセージ・想いをかたちにする人

昨日の夕方は、渋谷で映像・アニメーションの学校に通ってた、
本当に熱い仲間の卒業制作を観に行きました。

彼女は、自分が大学一年のとき知り合って、
なにをするときも、いつも応援してくれていた人でした。
直接的にも、間接的にも。
言葉はいつも、丁寧に相手の心に触れる人でした。
生き方が表面にあらわれている、かっこいい人です。

あまりひろいとはいえない発表ルームの椅子席の最前列のさらに前に、
胡坐をかいて観させてもらいました。

7分間の作品のなかに、彼女が伝えたかっただろうものが観えた気がしました。
作品は、ずっと張り詰めた緊張感の中にあって、作品として成立していました。
僕はアニメーションや映像は専門的に勉強しているわけではないけれど、
アニメーションや映像が表現手段である限りにおいて、
その成立にはどうしてもメッセージが必要だと考えます。
それは他者に向かって放たれる、視覚情報だからです。
それは関係性の構築のための発露であるという性格を免れないからです。

彼女の作品は、すごく素直に、素直に出すべきものを出していたと思う。
そこには彼女が中国のハンセン病療養所でもらった、彼女が受け取ったバトンがあった。
素直な涙が、人間があった。

彼女の作品はストーリテーリングがある作品だったけど、
実験的な作品だっていいとおもう。
ただ、たとえ、作品それ自体に「文法」がないとしても、
「それが文法だ!」と叫んじゃえばいいってもんじゃない。
なんで「新しい文法」が必要だったのか、
どうしても解説が必要となる。
「文法」の破綻を孕んだ作品は、語らざるを得ない。

彼女から昨日もらったものは、
「取り組む姿勢」です。
それとそこからあらわれる「希望」です。
想いをかたちにした彼女はきっとこれからも折れない。
そう感じました。

写真は、タンザニアのセレンゲティ国立公園の朝。
よく見るとキリンがいます。
半年くらい前には、こんな景色のところにいたんだな、と
最近写真をアップするようになって、ひしひし感じます。
写真を撮るというのはそういう具体的な効果があるものなんですね。
メッセージ・想いをかたちにする人_f0081311_12101139.jpg

# by kkiyono-lp | 2006-03-19 12:12

サンフランシスコノート② バークレーの芝生

2006年2月のサンフランシスコ滞在はほんとに短かかった。
まる2日ほどしかいなかった。

2日目はUCB(カルフォルニア大学バークレー校に行きました。
なぜ、バークレーに行ったかというと・・・。
いまいち不明。
ただ、ケニアにいたころに村上春樹のエッセイ『やがて哀しき外国語』に
バークレーの話があって、ちょうどそのころ気になる研究者がバークレー出身だったりと、
なんやかんやあったためだと思う。

ちなみに今回のアメリカ行きはケニア滞在中(2005年5月~9月)に決めたもので、
その理由は、向こうで出会った人たちがみんなアメリカに行けば?みたいなことをいったからです。
「ああ、これだけいわれるってことは、なんかあるんだな。」みたいな。

サンフランシスコ市内からBARTという地下鉄のようなものに乗って、バークレーで降りました。
サンフランシスコは大きな街ですが、
バークレーはそれほど大きな街ではなく落ち着いた町並みでした。
駅をでて少し歩くと、大きなバークレー校がありました。
入ると森。
続いて研究棟郡。
広い敷地にたくさんの建物があり、
広々してて気持ちよかった。

自分の通っている大学は、東京都内の狭い敷地にきゅうきゅうで建物があって、
人が渋谷並にあふれているので、
こういう広いとこで、スケボーとか自転車とかをつかって移動するのは大変そうな反面、
精神的にはいい効果があるんじゃないかな、とおもいました。

ちょうど、サンフランシスコに行く前に、
ラッセル=クロウが主演してる『ビューティフル・マインド』をみたので、
「ああ、この大学の中でも、栄誉ある仕事をなした人には尊敬をこめて、ペンをおくりあっているのかな。」なんて、ちょっと興奮しました。(あの話はハーバードだっけ?)

学生のサークルみたいなのがブースを出していると通りもあって、
様々な出自の学生でごった返していました。
そのなかを、普通ぶって、サングラスかけて歩く僕。 なにやってんだか。です。

歩きつかれて、
芝生に寝転んで、
人の流れを見ていました。
本当に世界にはたくさんの学生がいるんだな、と想像を馳せてみました。
世界中でたくさんの学生がなんやかんやと勉強している。
でも、きっと、絶対的に正しい学問はない。
でも、ないから、探すんだな。
人間が難しいから学問ってあるんだな。きっと。
芝生は、緑で、日差しは少し強くて、
僕は日本人で、ここはバークレーで、午後2時で、明日からはニューヨークで、
またそのうち日本に帰る。

自由に考えてみよう。

UCBの芝生での昼寝は心を少しづつ自由にする一歩だったように思う。

写真はサンフランシスコ市内のBART乗り場。
ここからバークレーに向かいました。
サンフランシスコノート② バークレーの芝生_f0081311_10521986.jpg

# by kkiyono-lp | 2006-03-18 10:53

なにものかになること・相変わらずな僕ら

大学に入ったころ、仲間が
将来、「なにものかになる」といっていた。

「なにものかになる」
いろんなことを選んでいくうちに、
やっぱりみんな、なにものかになるんじゃないかと思う。
そして僕もなにものかになりたい。

昨日はオールで飲んでいた。
そのうちの友人一人は、これから、湯布院で働いて、アイスランドにいく。
なんか久々に語ってしまった。

ああじゃない、こうじゃない、言って、
なんやかんや、やってきて、
実はいろんな大変だったり、重いこともってて、
なんか共有したり、交換したり、向かい合ったりした仲間が、
なにものかになっても、
「相変わらずな僕ら」と、結局、言い合いたい。

とことん、仲間に恵まれています。

存在は軽くはない。
むしろ重いだろう。

写真は、おととし大分にいったときに、乗り換えまちの駅のホームでとった写真。
そのときは、九重の八百屋さんのところにお世話になりました。
なにものかになること・相変わらずな僕ら_f0081311_14393880.jpg

# by kkiyono-lp | 2006-03-17 14:42

モチベーションの具体的要因

最近、思うのだけど、
人間のモチベーションを上げるのは、「他のやつもがんばっている!」ってことを
見たり、聞いたり、考えたりすることにあるんじゃないかな。

同じことを一緒にやっている人もいるし、
全く違うジャンルだけど、心はつながってがんばってるやつもいるし、
解決したい、向かい合いたい大きな問題は同じだったりする。

そういう人のことを考えると、「おお!俺もがんばろう!」って思う。
やっぱりそういう具体的なことがないと、言葉だけじゃ難しい。

言葉に頼って生きていますが(よくそういわれる)、言葉が万能じゃないことも、
しっかり知っておかなきゃいけないのかもしれません。

写真は2004年5月に一人旅をしたとき、
京都駅でとったものです。
ホームと朝焼けです。
落ち着いたら、また京都でも行きたいです。
想いを馳せます。

モチベーションの具体的要因_f0081311_11163039.jpg

# by kkiyono-lp | 2006-03-16 11:18

問題の外と中

たまに気づくのですが、人が「悩んでいる」というときには、
その問題に対する立場として、大きく二つあるのではないでしょうか?

一つは問題の外で悩むこと。
つまり、問題の核心が何であるのか、考えて悩むのではなくて、
「その問題を考えるため」に悩む状態です。

そしてもう一方は、問題の中で悩むこと。
問題の核心に入っていくことです。
こっちのほうが、より有意義で、深いことが多いんじゃないか。

例えば、「アヒルはどんな言葉を話しているんだろう?」ということを悩むとき、
「どうやってアヒルを研究する環境を作ろうか?」、というのも重要ですが、
できることなら、はやく「アヒルの言葉を研究したい」とおもいます。

環境を整えることは大切ですが、そこだけに留まっている限り、
問題の周りを回っているだけな気がします。

ただし、いろんな要因により、そうもいかないこともありますが。
でも、まだある程度の自由があるうちに、
なるべく早く、問題の中に分け入っていくようにしたいです。
# by kkiyono-lp | 2006-03-11 08:47