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秩父札所巡礼㉑ 巫女の神託 ~札所十八番 白道山 神門寺~

札所十八番 白道山神門寺 へ。

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ご本尊は 聖観世音菩薩 おん あろりきゃ そわか

このあたりは、少し前に、「妙見の七つ井戸」を巡ってあるいたところ。
とっても気になるのは。「神門寺」という名前。
このお寺の成り立ちを知ったら、とても納得でした。

このお寺は、もともと現在の 札所十四番 今宮坊に属して栄えた修験寺ということ。
だから、修験と所縁の深い不動明王堂があるのでしょう。

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今宮坊にも不動明王が観音堂に祀ってありました。
元々今宮坊は、長岳山正覚院金剛寺今宮観音堂という修験の大拠点でした。


神仏習合の信仰は、例えるならば「みんなで縫い合わせた大きな布」のようなものかもしれない。と思いました。
様々な潮流の中でこの地にたどりついた、彩の布が縫い合わされて独特の模様の柄ができる。
このお寺の縁起も、「神仏の縫い合わせ」を感じるものです。
このお寺はもともと神社だった。神社は荒廃し、村人は再興を願って御神楽を奉納した。
すると巫女に霊験があり、寺にせよ。となった。

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こういう縁起が伝承されている、ということは、
こういった逸話に人々が共感してきた、ということを示しているということだととれるでしょう。
ああ、そういうこともあるのか!と。
この逸話の中で、神と仏の蝶番になっているのは「巫女に霊験があり」というところ。

古来より巫女は神楽を舞ったり、祈祷をしたり、占いをしたり、神託を得て他の者に伝えたり、口寄せなどをする役割であったが、明治になってからは神社において神事の奉仕をしたり、神職を補佐する役割へと変化していった。なお、現在、一部の仏教寺院で白衣に緋袴という、巫女装束そのもの、又は類似の服装で奉職する若い女性も存在している。
民間習俗の巫女に関しては、1873年(明治6年)には神霊の憑依などによって託宣を得る行為が教部省によって全面的に禁止された。―Wikipediaより

邪馬台国の卑弥呼も、霊験によって、まつりごとをしていたとよくききます。
聖武天皇の大仏建立の際に、八幡大菩薩が宇佐神宮から馳せ参じたときも、御杖代(みつえしろ)は女性だった。
宮中で祀られていた天照大神が、崇神天皇・垂仁天皇の御代に、最終的に伊勢の五十鈴川のほとりに着くまで御杖代となったのも、
豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)と倭姫命(やまとひめのみこと)だった。
古代から近代にいたるまで、女性に神が依る、口寄せする、といったことは、決定的な力を持っていたのだと思う。
それは日本だけじゃなくて、世界何処でも。それが多数派だったはず。

真の意味で、女性が中心の世界の到来が、もう一度求められていると感じています。
新しい命の母胎となる女性は、男性よりも「いのち」に対して敏感だし、直感がまさっている。
男性は争いたがる。
女性は包み込む。海のような。

「人間が社会をつくり、社会が人間をつくる。でも、それも自然に守られているに過ぎない」

女性が女性らしく、しなやかに美しく生きることが、
文明の大転換にとって、鍵になります。
しなやかに美しく、直感に従って生きてくださいね。

神門寺の本堂の裏には、回廊が。

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狭い回廊。なんだかこわいような、でも進んでみたいような。
もしかしたら、僕たちみんな産道を通って生まれてくるとき、こんな感覚をもっていたのかも・・・。
by kkiyono-lp | 2012-10-27 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼
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