学生時代に大変関心が強かったことの一つに
「公」と「私」の概念について
というものがありました。
古代ギリシアやローマ、それに続くヨーロッパの歴史において、公と私は、勢力を競い、公の陰に私は隠れ、私の盛大の前に公は口をつぐんだように思います。
人が生きているということは絶えない公私の心の置き所の行き来であると思います。
ただ、本当は、公 publicでも 私 private でもない「わたしたち」があるのではないか。
わたしたち という言葉には翻訳語であろう「公共」という言葉は似て非なるもの。 と考えていました。
今、思うに、公 おおやけ という言葉は、publicを翻訳したときに、これが日本語に近いのでは、と充てた言葉ではないか。
おおやけ は もっと語感の違う言葉ではないか。
今年は、かたち、顕れに捕われず、地下水脈の音を聞くように、力強くなりたいのです。
一つの言葉を、自らの可能な限り真摯に見詰める。それも大切な態度でしょう。
ことばに命を吹き込みたいと思います。