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秩父札所巡礼⑳ animaを感じる心と響 ~札所十七番 実正山 定林寺~

Bob Marleyを聴きながら書く。

さて、巡礼五日目。

札所十七番 実正山定林寺 へ。

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径をぬけて御堂へ。

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ご本尊は、十一面観世音 おん まか きゃろにきゃ そわか

さて、なんで、「十一面」なのか。

大光普照(だいこうふしょう)観音とも呼ばれ、頭上の11面のうち、前後左右の10面は菩薩修行の階位である十地を表し、最上部の仏面は仏果を表すとされるが、これは衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる。「救わで止まんじ」の誓願を持つがゆえに、大悲闡提とも呼ばれる。六観音の役割では、阿修羅道の衆生を摂化するという。―Wikipeidiaより

つまり「菩薩修行」の階位を表すとともに、無明煩悩を断つ、ということか。

以前から、なんとなく知ってはいたのですが、
「菩薩」っていうのは、修行中の身なんですよね。

菩薩(ぼさつ)、梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva]の音写)は仏教において、成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者。
後に菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象となっていった。―Wikipediaより

菩薩の修業には菩薩五十二位という階位があって、
最後の52の階位が、妙覚。

妙覚(みょうかく)
菩薩修行の階位である52位の最後の位で、等覚位の菩薩が、さらに一品(いっぽん)の無明を断じて、この位に入る。なお一切の煩悩を断じ尽くした位で、仏・如来と同一視される。

仏・如来と同一視される。仏も如来も、仏教において、修行を完成し、悟りを開いた人のこと!
なるほど!

ちなみに、十一面観世音のあらわす「十地」は
菩薩修行の階位である52位の中、第41~50位まで。上から法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜の10位。仏智を生成し、よく住持して動かず、あらゆる衆生を荷負し教下利益することが、大地が万物を載せ、これを潤益するからに似ているから「地」と名づく。―Wikipediaより
法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜、一つ一つ吟味したい―。ゆっくりやっていこう。

ふと、思ったのだけど、、、、
巡礼は、目的地に着くだけが巡礼ではなく、その一歩一歩を感じることに、湧き立つ力を感じはじめているのだけど、
同じように、もしかしたら、仏教の悟りへの修業の一段階一段階に、人間の煩悩からの別れがたさと、そこからの気づきと変化があるのでは。。。
なにかの気づきが近づいている。。。
平く言えば、目標を達成することだけでなく、それを目指す志向が気づきを起こすのではないか、と。
とっても当たり前のことにきこえるけど。
そこに何か大切なことが眠っているように感じる!!

「志向に伴う行動からはじまる、大河の流れの実感」

そして、BGMはちょうど「One Love」!!

おおー。
なんか、大きな気づきが来そう。。。。


定林寺では、こんなポスターをみました。

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秩父から離れている間に、
秩父を舞台にしたアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』が流行ったんだよねー。
全然知らなかったんだけど、京都の清水寺近くのサークルKにいったときに、グッズ販売してて、そんなに流行っているのか!と驚いた思い出があります。
京都でみるとは!
それで、いまさらながら、みてみたら、結構いい話だったん。。ちょっと泣いたん。(笑)

それでこの定林寺は、後で知ったんだけど、結構作品中に出て来るんだよね。
だから絵馬があるわけね。


お寺とアニメ。

全然関係ないようで、実は深くは繋がってるところもあるんだよね。
日本は仏教が入ってくる前に、まだ「神道」とは呼ばれていなかっただろう、大木や磐座、大海原に霊(たま)・スピリットをみる信仰があって、
それは、世界中の旧石器時代に起源を持っている「アニミズム」とよくいわれるもの一つの顕れといえると思うのだけど、
このアニミズムの語源はラテン語の「anima(アニマ)」=霊魂・魂。
animationの元もこのanimaからきている。

日本でアニメが盛んで、それが日本以外の人にも反響を与えているのは、
この島で生きてきた人たちの「animaを感じる力」が強かったからで、
その特質は、いまもしっかり生きているんじゃないか、って思う。
スピリットは土地とともにあるものだから、この島が霊(たま)・spirit・animaと共に生きる土地だからじゃないかって。
そして、そこに生まれ育つ人は、その響きの中にあるから。

直感的に、源氏物語にも出てくる絵解きや、御伽草子、紙芝居などもその響きの中にあると感じる。
紙芝居って、他の国には例をみない。

感受性は「感じて受ける心」。
それは世界との関わり方を決める心のありよう。
大切にしたい。

学生時代、詩人でフランス文学者の守中高明先生の講義で「小さな耳を持ちなさい」という言葉をきいて、深く影響をうけました。
いつでも「きこえない声をきくちいさな耳」を「みえないものをみる目」を持ちたいと願っています。
守中先生は、「舞踏」への興味も開いてくれた方です。
ほんとうに守中先生に感謝しています。


BGMはBuffalo soldier。

If you know your history,                   
Then you would know where you coming from,        
Then you wouldn't have to ask me,           
Who the heck do I think I am.                

自分の歴史を調べれば
自分のルーツが わかるだろ 
だったら おいらに聞くことはない
おいらが自分を何者だと思っているかを

―Popjishyo.comより

力強い。
# by kkiyono-lp | 2012-10-11 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

二〇一二年 新暦 神無月 七・八日

京都の綾部、
ゐやびの祭りから、JRで京都へ、そして夜行バスで新宿へ、さらに西武線で秩父へと、どんどん来て、
たどり着いたのは、
秩父夜祭が国の重要有形民俗文化財指定されて50周年記念、
「秩父祭笠鉾特別曳行」

秩父には、素晴らしい大きな祭があります。
12月2・3日秩父夜祭
僕の原点。
秩父の誇り。

日本三大曳山祭の一つになっているこの祭の屋台(山車)は、
国の重要有形文化財に指定されています。
他に指定されている祭の屋台は、滋賀県の大津祭や、飛騨の高山祭などのようです。
去年は、大津祭に偶然行くことができて、綺麗な山車のお祭でした。
飛騨高山祭、いってみたいなぁ・・!

秩父夜祭では六台の山車が出ます。
そのうちの二台が、もともとは笠鉾といって「花」がついたものなのですが、
普段のお祭りでは見ることはできません。
今回、「中近」と「下郷」の二台が笠をつけて、一緒に巡行するのは、
なんと99年ぶり!

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まずは、「中近」の笠鉾に遭遇!
やっぱり、笠をつけると大きい!

普段より高い「中近」の笠鉾の上には、神が依る、依代となる「神籬(ひもろぎ)」。

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神籬って美しいな、って思うのです。
21世紀の日本。まわりの建造物はどんどん姿を変えていっても、神事における神籬は、変わらない。
その神籬を冠した笠鉾が街をすすんでゆく。
そういうものに、心ゆすぶられるし、神聖な美しさを感じるのです。
それは、大地のスピリットに根ざしたもの。その顕在している姿。その証明。

秩父神社内にいたら、「下郷」の笠鉾が入ってくる。
さらに大きい!

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そして「下郷」の笠鉾にも、太陽のような依代が!

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この依代は「天道」とよばれるもののようです。
「天道」は、「てんとう」と読むと思うのですが、これって
「おてんとさま」の元となっている言葉でしょう。

天道について
日本では、一般的にお天道様(おてんとさま)とも言うように、太陽神としても知られる。太陽は神として祀られたのである。信仰心が伴わなくても太陽を「お日様」と呼び、お月様、お星様と同様に自然崇拝の対象であった。
天照大神は天童の神格化であり、仏教の大日如来とも習合した。また対馬の天道信仰においては日の神の子として、天童(てんどう)という言葉もある。
日本人はてんとうむし(天道虫と書く)を太陽に見立てた。
千葉県では天道念仏と称して、春2月・3月に祭壇を作り、踊り念仏で作物の豊作を祈るなど、農耕儀礼に展開した。
修験道も関り、祭壇には出羽三山を祀った。中央に湯殿山を拝していたのは太陽崇拝であり、湯殿山は、胎蔵界大日如来を本地、天照大神を垂迹とした。
地名では、名古屋市天白区天道、福岡県飯塚市天道、鹿児島県出水郡長島町の天道山、山形県天童市などがある。
戦国末期の仏教・神道・儒教の統一思想に広がれた説がある。―Wikipediaより

ちゃんと、考えたことなかったけど、
お日様、お月様、お星様、ってみんな自然崇拝のことばなんだな。
こんなに素朴で近くにある崇拝。
なんだか、神道が神道たる前の、もっと分解・分析にとらわれない全体的な意識から生まれる世界観をみれるスコープのように感じる。

お日様、お月様、お星様。
このことばは大事だ。
わすれちゃいけない。

お日様、お月様、お星様。
お空をめぐる皆々様よ。
まわって、生かして、育てている。

二台の笠鉾が秩父神社に並ぶ。

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そして夜になっていく。


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二日目は、「中近」の解体まで、みさせていただきました。
笠鉾は「ご神木」の役割をしているそうです。
神籬を支えているど真ん中は一本の木。今回は、三峰神社のあたりからいただいた木とうかがいました。
あれくらいずどんとした柱がほしい!

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99年前、それは1913年。
日本の人口は2500万人!!
そして、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が亡くなった年。
時。
確実に変化していく。

その99年を経て、いま二台の笠鉾が秩父を巡行した。
さて、これからの時は?変化は?
# by kkiyono-lp | 2012-10-10 20:10 | 日読み・月読み

秩父札所巡礼⑲ 美意識が世界をつくる ~続・札所十六番 無量山西光寺~

札所十六番 無量山西光寺 は、
真言宗のお寺であることを伺いました。

真言宗は、空海が開いた宗派です。

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だから、四国八十八ヵ所の回廊があるんだな。
四国八十八ヵ所は、空海が開いた。

この空海さんも本当に伝説が多い!
讃岐に麦をもたらした!とか。

その中でも、最近気になっていたのが、
いろはうたをつくったのは空海!という伝説。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず

いろはにほへとが、
歌になっているということを知った時には、ほんとにびっくりしたな。

解釈はたくさんありますが、

目にうつるものはすべからくうつりかわっていく。
誰も無常の中に在るもの。
無常という世界の真を理解し、悟り、目醒める。

というように、僕は感じています。

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ

短い言葉に、真があふれている。
美しく散っていく桜をみるような、何千年もの時間が流れていく様を凝縮して、穏やかな気持ちで見つめるような。

「美意識が世界をつくりあげている。」
自然は大いなる然として、ただ在る。
人間は想像力によって自然を変えていく力をもっている。そういう性がある。
人間の美意識がいかなるものか、によって自然に包まれている私たちの世界は変わる。
そういう意味で、いろは歌が言葉の手習いとして使われていたことは、
人々の美意識に大きな影響を与え続けてきたと思うのです。

調べてみると、最初の「あいうえお」は1884年の『日本百科事彙』に載ったそうです。
あいうえおは、とっても機能的な並べ方だと感じます。
母音と子音の組み合わせ。
そこには「整然さ」があるけど「美しさ」はすくないように感じる。
「いのちが纏う美しさ」が。
「物語」や「想い」も薄められていると思う。

1884年、明治17年は、秩父事件。
いつの時代も、世界には堰を切ったような変化がある。
「いろはにほへと」から「あいうえお」への移り変わりは、
近代への移り変わりと連動しているのでしょう。
僕は、近代化は、それぞれの場所やそれぞれの人、共同体が持っていた物語がかつてないほど強制力をもって、「大きな物語」統合されていった過程、と思っています。
その過程によって、自分の根っこが切れてしまったことが、きっとたくさんあると。
そういう歴史の中で、歴史という現実のなかで、こうやって歩いて、根を取り戻しているのかもしれない。

西光寺には、秩父札所巡礼の内で、現存する最古の観音堂が残されています。

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時代の変遷とともに立替らえれ続けられてきたお堂。
その中で残るこの御堂には、「札を打ち付けた」たくさんの跡が。


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巡礼し、札を打ち付ける。
打ち付けられたのは「札」だけじゃない。「願い」や「想い」。
打ち付けられた「願い」や「想い」の跡。


札所十一番から十六番まで巡礼した四日目終了。
この日の巡礼は、あらためて
よく知っている土地を、違う目を持って歩くことで沢山のことに気付く、ということを教えてくれました。
# by kkiyono-lp | 2012-10-09 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

┃と━とで強くなる。

その舞踏家は、穏やかな小川の橋で、
そこにすわっている人たちにむけてゆっくりと真理を話し出した。

そこに座っている人たちは、どうしたら既存のシステムとむかっていけるのか、を
思案していたのだ。


舞踏家は話し出した。諭すように。

人は┃(たて)と━(よこ)で強くなる。
いま世の中でネットワーク、といわれているものは、━のつながりのこと。
隣の人と優しく手を握り合うこと、融和的に繋がること。
でも、それだけでは、弱いのだ。貧弱で飛ばされてしまう。
ほんとうに倒れない柵は、どうなっている?
それは地面に深く突き刺さっているだろう。
それが、┃なのだ。
┃は自己認識、ルーツ、祖先、さらに見えない世界につながっていく道、上昇し宇宙へとつながる道。それを自分の中に┃に通す。
そうやって僕たちは大地とつながる。
これが、強さの起源なんだ。
融和と強さ。この二つをもってして、人は風に倒れにくくなるのだ。


僕は思う。

僕は、そういうことをしたいと思ったし、
そういうことをするのだと思う。

さらに、僕は思う。
━と┃とで+。それがつながっていくと・・・・。
# by kkiyono-lp | 2012-10-08 18:50 | Story telling

秩父札所巡礼⑱ 暗くて見えない壁画をみるように ~札所十六番 無量山 西光寺 ~

札所十五番 母巣山 少林寺の境内にも
半僧坊大権現が祀られていました。半僧坊は、天狗で、臨済宗のご鎮守。

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実は、明治以前、札所十五番は 母巣山蔵福寺といい秩父神社境内に在ったということです。
しかし、明治の神仏分離令によって、蔵福寺は廃止され、
札所十五番はなくなりそうになりました.
市内にあった五葉山少林寺を、現在のところに移転して二つの寺を合わせて、
「母巣山 少林寺」となった、とのことです。
秩父神社の中にも、お寺があったのですねー。
全国で、神社とともに「神宮寺」とありますが、それも神社とお寺が一緒にあった姿ですね。

神仏分離
神仏分離(しんぶつぶんり)は、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。
その動きは早くは中世から見られるが、一般には江戸時代中期後期以後の儒教や国学や復古神道に伴うものを指し、狭義には明治新政府により出された神仏分離令(正式には神仏判然令。慶応4年3月13日(1868年4月5日)から明治元年10月18日(1868年12月1日)までに出された太政官布告、神祇官事務局達、太政官達など一連の通達の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。―Wikipediaより

明治の神仏分離令から起こったのが、廃仏毀釈。
廃仏毀釈によって、たくさんの仏像や寺院が破壊されたことを、
様々なところで見てきました。

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)は、仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。―Wikipediaより

それは、日本人の心の世界に吹き抜けた、激しい嵐のように思います。

廃仏毀釈による主な廃寺
内山永久寺(石上神宮別当寺)
大御輪寺(大神神社神宮寺)

廃仏毀釈により破却された神塔
與杼神社宝塔
上野東照宮本地塔
秋葉権現多宝塔
久能山東照宮五重塔
北野天満宮多宝塔
石清水八幡宮大塔
鶴岡八幡宮大塔
諏訪大社五重塔(上社)、三重塔(下社)
吉備津神社三重塔
日御碕神社多宝塔
―Wikipedeiaより

時の流れと共に、ほんとうにそこに神宮寺があったのか、仏塔があったのか、わからない。
これだけ大きな神社さんにもたくさんお寺や仏塔があったと想像すると、
日本人の精神は、私たちがいま感じているものと、かなり違うのではないでしょうか。

神と仏とが混然一体。
一人の人間の身体が、複雑な様々な機能を持った器官から成るように。
小さいランプで灯してみれば、暗い洞窟の中の壁面がみえてくる。読めてくる。



秩父往還の中心部をめぐる巡礼四日目も、午後四時をすぎる。

札所十六番 無量山西光寺 につきました。

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ご本尊は、千手観世音菩薩 おん まか たらま きりく そわか。


こちらのお寺には、四国八十八ヵ所の観世音菩薩像を模した木像がなならぶ、回廊があります。
この回廊は、1783年の浅間山大噴火により命を失った人や家畜の精霊菩提のため造営されたということです。
浅間山ときいて、すっかり富士山のことと思い込んでいたら、この浅間山は、
群馬県と長野県の境の浅間山のこと。

富士山にあるのは浅間神社(せんげんじんじゃ)。群馬と長野の間も浅間山(あさまさん)
これは、「あさま」という言葉が、火山という古語であるから、ともいわれています。

「アサマ」とは、アイヌ語で「火を吹く燃える岩」または「沢の奥」という意味がある。また、東南アジアの言葉で火山や温泉に関係する言葉である。例えばマレー語では、「アサ」は煙を意味し「マ」は母を意味する。その言葉を火山である富士山にあてたとする説。―Wikipediaより

いろんな説がありますが、縄文起源のこの島のネイティヴであるアイヌの人々が、使っていた言葉が、
地名などに多く残っているのは、とても自然なことだと感じます。

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秩父札所巡礼。大きなお寺ではありませんが、小さな古刹がたくさんある巡礼です。
# by kkiyono-lp | 2012-10-07 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼