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秩父札所巡礼⑳ animaを感じる心と響 ~札所十七番 実正山 定林寺~

Bob Marleyを聴きながら書く。

さて、巡礼五日目。

札所十七番 実正山定林寺 へ。

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径をぬけて御堂へ。

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ご本尊は、十一面観世音 おん まか きゃろにきゃ そわか

さて、なんで、「十一面」なのか。

大光普照(だいこうふしょう)観音とも呼ばれ、頭上の11面のうち、前後左右の10面は菩薩修行の階位である十地を表し、最上部の仏面は仏果を表すとされるが、これは衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる。「救わで止まんじ」の誓願を持つがゆえに、大悲闡提とも呼ばれる。六観音の役割では、阿修羅道の衆生を摂化するという。―Wikipeidiaより

つまり「菩薩修行」の階位を表すとともに、無明煩悩を断つ、ということか。

以前から、なんとなく知ってはいたのですが、
「菩薩」っていうのは、修行中の身なんですよね。

菩薩(ぼさつ)、梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva]の音写)は仏教において、成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者。
後に菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象となっていった。―Wikipediaより

菩薩の修業には菩薩五十二位という階位があって、
最後の52の階位が、妙覚。

妙覚(みょうかく)
菩薩修行の階位である52位の最後の位で、等覚位の菩薩が、さらに一品(いっぽん)の無明を断じて、この位に入る。なお一切の煩悩を断じ尽くした位で、仏・如来と同一視される。

仏・如来と同一視される。仏も如来も、仏教において、修行を完成し、悟りを開いた人のこと!
なるほど!

ちなみに、十一面観世音のあらわす「十地」は
菩薩修行の階位である52位の中、第41~50位まで。上から法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜の10位。仏智を生成し、よく住持して動かず、あらゆる衆生を荷負し教下利益することが、大地が万物を載せ、これを潤益するからに似ているから「地」と名づく。―Wikipediaより
法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜、一つ一つ吟味したい―。ゆっくりやっていこう。

ふと、思ったのだけど、、、、
巡礼は、目的地に着くだけが巡礼ではなく、その一歩一歩を感じることに、湧き立つ力を感じはじめているのだけど、
同じように、もしかしたら、仏教の悟りへの修業の一段階一段階に、人間の煩悩からの別れがたさと、そこからの気づきと変化があるのでは。。。
なにかの気づきが近づいている。。。
平く言えば、目標を達成することだけでなく、それを目指す志向が気づきを起こすのではないか、と。
とっても当たり前のことにきこえるけど。
そこに何か大切なことが眠っているように感じる!!

「志向に伴う行動からはじまる、大河の流れの実感」

そして、BGMはちょうど「One Love」!!

おおー。
なんか、大きな気づきが来そう。。。。


定林寺では、こんなポスターをみました。

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秩父から離れている間に、
秩父を舞台にしたアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』が流行ったんだよねー。
全然知らなかったんだけど、京都の清水寺近くのサークルKにいったときに、グッズ販売してて、そんなに流行っているのか!と驚いた思い出があります。
京都でみるとは!
それで、いまさらながら、みてみたら、結構いい話だったん。。ちょっと泣いたん。(笑)

それでこの定林寺は、後で知ったんだけど、結構作品中に出て来るんだよね。
だから絵馬があるわけね。


お寺とアニメ。

全然関係ないようで、実は深くは繋がってるところもあるんだよね。
日本は仏教が入ってくる前に、まだ「神道」とは呼ばれていなかっただろう、大木や磐座、大海原に霊(たま)・スピリットをみる信仰があって、
それは、世界中の旧石器時代に起源を持っている「アニミズム」とよくいわれるもの一つの顕れといえると思うのだけど、
このアニミズムの語源はラテン語の「anima(アニマ)」=霊魂・魂。
animationの元もこのanimaからきている。

日本でアニメが盛んで、それが日本以外の人にも反響を与えているのは、
この島で生きてきた人たちの「animaを感じる力」が強かったからで、
その特質は、いまもしっかり生きているんじゃないか、って思う。
スピリットは土地とともにあるものだから、この島が霊(たま)・spirit・animaと共に生きる土地だからじゃないかって。
そして、そこに生まれ育つ人は、その響きの中にあるから。

直感的に、源氏物語にも出てくる絵解きや、御伽草子、紙芝居などもその響きの中にあると感じる。
紙芝居って、他の国には例をみない。

感受性は「感じて受ける心」。
それは世界との関わり方を決める心のありよう。
大切にしたい。

学生時代、詩人でフランス文学者の守中高明先生の講義で「小さな耳を持ちなさい」という言葉をきいて、深く影響をうけました。
いつでも「きこえない声をきくちいさな耳」を「みえないものをみる目」を持ちたいと願っています。
守中先生は、「舞踏」への興味も開いてくれた方です。
ほんとうに守中先生に感謝しています。


BGMはBuffalo soldier。

If you know your history,                   
Then you would know where you coming from,        
Then you wouldn't have to ask me,           
Who the heck do I think I am.                

自分の歴史を調べれば
自分のルーツが わかるだろ 
だったら おいらに聞くことはない
おいらが自分を何者だと思っているかを

―Popjishyo.comより

力強い。
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by kkiyono-lp | 2012-10-11 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

二〇一二年 新暦 神無月 七・八日

京都の綾部、
ゐやびの祭りから、JRで京都へ、そして夜行バスで新宿へ、さらに西武線で秩父へと、どんどん来て、
たどり着いたのは、
秩父夜祭が国の重要有形民俗文化財指定されて50周年記念、
「秩父祭笠鉾特別曳行」

秩父には、素晴らしい大きな祭があります。
12月2・3日秩父夜祭
僕の原点。
秩父の誇り。

日本三大曳山祭の一つになっているこの祭の屋台(山車)は、
国の重要有形文化財に指定されています。
他に指定されている祭の屋台は、滋賀県の大津祭や、飛騨の高山祭などのようです。
去年は、大津祭に偶然行くことができて、綺麗な山車のお祭でした。
飛騨高山祭、いってみたいなぁ・・!

秩父夜祭では六台の山車が出ます。
そのうちの二台が、もともとは笠鉾といって「花」がついたものなのですが、
普段のお祭りでは見ることはできません。
今回、「中近」と「下郷」の二台が笠をつけて、一緒に巡行するのは、
なんと99年ぶり!

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まずは、「中近」の笠鉾に遭遇!
やっぱり、笠をつけると大きい!

普段より高い「中近」の笠鉾の上には、神が依る、依代となる「神籬(ひもろぎ)」。

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神籬って美しいな、って思うのです。
21世紀の日本。まわりの建造物はどんどん姿を変えていっても、神事における神籬は、変わらない。
その神籬を冠した笠鉾が街をすすんでゆく。
そういうものに、心ゆすぶられるし、神聖な美しさを感じるのです。
それは、大地のスピリットに根ざしたもの。その顕在している姿。その証明。

秩父神社内にいたら、「下郷」の笠鉾が入ってくる。
さらに大きい!

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そして「下郷」の笠鉾にも、太陽のような依代が!

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この依代は「天道」とよばれるもののようです。
「天道」は、「てんとう」と読むと思うのですが、これって
「おてんとさま」の元となっている言葉でしょう。

天道について
日本では、一般的にお天道様(おてんとさま)とも言うように、太陽神としても知られる。太陽は神として祀られたのである。信仰心が伴わなくても太陽を「お日様」と呼び、お月様、お星様と同様に自然崇拝の対象であった。
天照大神は天童の神格化であり、仏教の大日如来とも習合した。また対馬の天道信仰においては日の神の子として、天童(てんどう)という言葉もある。
日本人はてんとうむし(天道虫と書く)を太陽に見立てた。
千葉県では天道念仏と称して、春2月・3月に祭壇を作り、踊り念仏で作物の豊作を祈るなど、農耕儀礼に展開した。
修験道も関り、祭壇には出羽三山を祀った。中央に湯殿山を拝していたのは太陽崇拝であり、湯殿山は、胎蔵界大日如来を本地、天照大神を垂迹とした。
地名では、名古屋市天白区天道、福岡県飯塚市天道、鹿児島県出水郡長島町の天道山、山形県天童市などがある。
戦国末期の仏教・神道・儒教の統一思想に広がれた説がある。―Wikipediaより

ちゃんと、考えたことなかったけど、
お日様、お月様、お星様、ってみんな自然崇拝のことばなんだな。
こんなに素朴で近くにある崇拝。
なんだか、神道が神道たる前の、もっと分解・分析にとらわれない全体的な意識から生まれる世界観をみれるスコープのように感じる。

お日様、お月様、お星様。
このことばは大事だ。
わすれちゃいけない。

お日様、お月様、お星様。
お空をめぐる皆々様よ。
まわって、生かして、育てている。

二台の笠鉾が秩父神社に並ぶ。

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そして夜になっていく。


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二日目は、「中近」の解体まで、みさせていただきました。
笠鉾は「ご神木」の役割をしているそうです。
神籬を支えているど真ん中は一本の木。今回は、三峰神社のあたりからいただいた木とうかがいました。
あれくらいずどんとした柱がほしい!

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99年前、それは1913年。
日本の人口は2500万人!!
そして、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が亡くなった年。
時。
確実に変化していく。

その99年を経て、いま二台の笠鉾が秩父を巡行した。
さて、これからの時は?変化は?
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by kkiyono-lp | 2012-10-10 20:10 | 日読み・月読み

秩父札所巡礼⑲ 美意識が世界をつくる ~続・札所十六番 無量山西光寺~

札所十六番 無量山西光寺 は、
真言宗のお寺であることを伺いました。

真言宗は、空海が開いた宗派です。

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だから、四国八十八ヵ所の回廊があるんだな。
四国八十八ヵ所は、空海が開いた。

この空海さんも本当に伝説が多い!
讃岐に麦をもたらした!とか。

その中でも、最近気になっていたのが、
いろはうたをつくったのは空海!という伝説。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず

いろはにほへとが、
歌になっているということを知った時には、ほんとにびっくりしたな。

解釈はたくさんありますが、

目にうつるものはすべからくうつりかわっていく。
誰も無常の中に在るもの。
無常という世界の真を理解し、悟り、目醒める。

というように、僕は感じています。

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ

短い言葉に、真があふれている。
美しく散っていく桜をみるような、何千年もの時間が流れていく様を凝縮して、穏やかな気持ちで見つめるような。

「美意識が世界をつくりあげている。」
自然は大いなる然として、ただ在る。
人間は想像力によって自然を変えていく力をもっている。そういう性がある。
人間の美意識がいかなるものか、によって自然に包まれている私たちの世界は変わる。
そういう意味で、いろは歌が言葉の手習いとして使われていたことは、
人々の美意識に大きな影響を与え続けてきたと思うのです。

調べてみると、最初の「あいうえお」は1884年の『日本百科事彙』に載ったそうです。
あいうえおは、とっても機能的な並べ方だと感じます。
母音と子音の組み合わせ。
そこには「整然さ」があるけど「美しさ」はすくないように感じる。
「いのちが纏う美しさ」が。
「物語」や「想い」も薄められていると思う。

1884年、明治17年は、秩父事件。
いつの時代も、世界には堰を切ったような変化がある。
「いろはにほへと」から「あいうえお」への移り変わりは、
近代への移り変わりと連動しているのでしょう。
僕は、近代化は、それぞれの場所やそれぞれの人、共同体が持っていた物語がかつてないほど強制力をもって、「大きな物語」統合されていった過程、と思っています。
その過程によって、自分の根っこが切れてしまったことが、きっとたくさんあると。
そういう歴史の中で、歴史という現実のなかで、こうやって歩いて、根を取り戻しているのかもしれない。

西光寺には、秩父札所巡礼の内で、現存する最古の観音堂が残されています。

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時代の変遷とともに立替らえれ続けられてきたお堂。
その中で残るこの御堂には、「札を打ち付けた」たくさんの跡が。


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巡礼し、札を打ち付ける。
打ち付けられたのは「札」だけじゃない。「願い」や「想い」。
打ち付けられた「願い」や「想い」の跡。


札所十一番から十六番まで巡礼した四日目終了。
この日の巡礼は、あらためて
よく知っている土地を、違う目を持って歩くことで沢山のことに気付く、ということを教えてくれました。
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by kkiyono-lp | 2012-10-09 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

┃と━とで強くなる。

その舞踏家は、穏やかな小川の橋で、
そこにすわっている人たちにむけてゆっくりと真理を話し出した。

そこに座っている人たちは、どうしたら既存のシステムとむかっていけるのか、を
思案していたのだ。


舞踏家は話し出した。諭すように。

人は┃(たて)と━(よこ)で強くなる。
いま世の中でネットワーク、といわれているものは、━のつながりのこと。
隣の人と優しく手を握り合うこと、融和的に繋がること。
でも、それだけでは、弱いのだ。貧弱で飛ばされてしまう。
ほんとうに倒れない柵は、どうなっている?
それは地面に深く突き刺さっているだろう。
それが、┃なのだ。
┃は自己認識、ルーツ、祖先、さらに見えない世界につながっていく道、上昇し宇宙へとつながる道。それを自分の中に┃に通す。
そうやって僕たちは大地とつながる。
これが、強さの起源なんだ。
融和と強さ。この二つをもってして、人は風に倒れにくくなるのだ。


僕は思う。

僕は、そういうことをしたいと思ったし、
そういうことをするのだと思う。

さらに、僕は思う。
━と┃とで+。それがつながっていくと・・・・。
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by kkiyono-lp | 2012-10-08 18:50 | Story telling

秩父札所巡礼⑱ 暗くて見えない壁画をみるように ~札所十六番 無量山 西光寺 ~

札所十五番 母巣山 少林寺の境内にも
半僧坊大権現が祀られていました。半僧坊は、天狗で、臨済宗のご鎮守。

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実は、明治以前、札所十五番は 母巣山蔵福寺といい秩父神社境内に在ったということです。
しかし、明治の神仏分離令によって、蔵福寺は廃止され、
札所十五番はなくなりそうになりました.
市内にあった五葉山少林寺を、現在のところに移転して二つの寺を合わせて、
「母巣山 少林寺」となった、とのことです。
秩父神社の中にも、お寺があったのですねー。
全国で、神社とともに「神宮寺」とありますが、それも神社とお寺が一緒にあった姿ですね。

神仏分離
神仏分離(しんぶつぶんり)は、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。
その動きは早くは中世から見られるが、一般には江戸時代中期後期以後の儒教や国学や復古神道に伴うものを指し、狭義には明治新政府により出された神仏分離令(正式には神仏判然令。慶応4年3月13日(1868年4月5日)から明治元年10月18日(1868年12月1日)までに出された太政官布告、神祇官事務局達、太政官達など一連の通達の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。―Wikipediaより

明治の神仏分離令から起こったのが、廃仏毀釈。
廃仏毀釈によって、たくさんの仏像や寺院が破壊されたことを、
様々なところで見てきました。

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)は、仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。―Wikipediaより

それは、日本人の心の世界に吹き抜けた、激しい嵐のように思います。

廃仏毀釈による主な廃寺
内山永久寺(石上神宮別当寺)
大御輪寺(大神神社神宮寺)

廃仏毀釈により破却された神塔
與杼神社宝塔
上野東照宮本地塔
秋葉権現多宝塔
久能山東照宮五重塔
北野天満宮多宝塔
石清水八幡宮大塔
鶴岡八幡宮大塔
諏訪大社五重塔(上社)、三重塔(下社)
吉備津神社三重塔
日御碕神社多宝塔
―Wikipedeiaより

時の流れと共に、ほんとうにそこに神宮寺があったのか、仏塔があったのか、わからない。
これだけ大きな神社さんにもたくさんお寺や仏塔があったと想像すると、
日本人の精神は、私たちがいま感じているものと、かなり違うのではないでしょうか。

神と仏とが混然一体。
一人の人間の身体が、複雑な様々な機能を持った器官から成るように。
小さいランプで灯してみれば、暗い洞窟の中の壁面がみえてくる。読めてくる。



秩父往還の中心部をめぐる巡礼四日目も、午後四時をすぎる。

札所十六番 無量山西光寺 につきました。

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ご本尊は、千手観世音菩薩 おん まか たらま きりく そわか。


こちらのお寺には、四国八十八ヵ所の観世音菩薩像を模した木像がなならぶ、回廊があります。
この回廊は、1783年の浅間山大噴火により命を失った人や家畜の精霊菩提のため造営されたということです。
浅間山ときいて、すっかり富士山のことと思い込んでいたら、この浅間山は、
群馬県と長野県の境の浅間山のこと。

富士山にあるのは浅間神社(せんげんじんじゃ)。群馬と長野の間も浅間山(あさまさん)
これは、「あさま」という言葉が、火山という古語であるから、ともいわれています。

「アサマ」とは、アイヌ語で「火を吹く燃える岩」または「沢の奥」という意味がある。また、東南アジアの言葉で火山や温泉に関係する言葉である。例えばマレー語では、「アサ」は煙を意味し「マ」は母を意味する。その言葉を火山である富士山にあてたとする説。―Wikipediaより

いろんな説がありますが、縄文起源のこの島のネイティヴであるアイヌの人々が、使っていた言葉が、
地名などに多く残っているのは、とても自然なことだと感じます。

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秩父札所巡礼。大きなお寺ではありませんが、小さな古刹がたくさんある巡礼です。
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by kkiyono-lp | 2012-10-07 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

秩父札所巡礼⑰ 折り重なる歴史を感じたい  ~札所十五番 母巣山 少林寺~

札所十四番 長岳山 今宮坊 には

武田信玄の足跡もある。
秩父は武田信玄とのゆかりも多い。

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「武田信玄は、配下の失敗をこの寺の霊験にて許した」とあります。
1569年、1570年に武田信玄は秩父に侵攻。
1569年は、諏訪定勝、多比羅将監や秩父の国人の活躍により失敗に終わるが、
翌1570年は、武田勢が勝利。秩父神社、椋神社などの多くの神社仏閣が焼き払われ、村や人も多く被害でたといいます。
ほんとうに、歴史は知ろうとしなければ、知らないものなんですね。
そのような、灰の上にいまの暮らしがあると、改めて知ると、日々の暮らしが違って見えてくるように思います。

今宮坊から
札所十五番 母巣山 少林寺 へ

その途中に、秩父今宮神社の龍神木にお会いする。

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この龍神木には、八大龍王が祀られています。
八大龍王は難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、沙伽羅(さがら)、和脩吉(わすきつ)、徳叉迦(とくさか)、阿那婆達多(あなばたつた)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはら)。

天竜八部衆に所属する竜族の八王。法華経(序品)に登場し、仏法を守護する。 霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大竜王も幾千万億の眷属の竜達とともに釈迦の教えに耳を傾けた。釈迦は「妙法蓮華経」の第二十五 観世音菩薩普門品に遺されているように「観音菩薩の御働き」を説いた。その結果、「覚り」を超える「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、原語Anuttara samyaksaMbodhi)、無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」を得て、護法の神となられるに至った。―Wikipediaより

阿耨多羅三藐三菩提。般若心経に出てきます。
このことについて学ぶのは、又の機会に。

八大龍王は護法善神。護法善神とは仏法(ダンマ)を守る神のこと。
この護法善神、どんな神が含まれているかを調べてみたら、
とてもすっきりしてきました。
いわゆる「権現」とよばれるものや「四天王」とよばれるもの、さらには弁財天、阿修羅や鬼子母神なども護法善神に入るのだそうです。
バラモン教や、ヒンドゥー教の神々も。
きっと護法善神を一つ一つ紐解いていけば、ユーラシア大陸で生まれた信仰が、どのように日本にたどり着き、凝縮されていったかがわかりそうです!


秩父神社にほど近い、
札所十五番 母巣山 少林寺

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ご本尊は 十一面観音 おん まか きゃろにきゃ そわか

「母巣(ははそ)の杜」
小学校の校歌の第一声は「ははその杜のあさぼらけ」!
後になって、兵庫の日本海側の新温泉町というところでは、「ははそ」とはどんぐりの成る木のことをいうとききました。とくにコナラのことのようです。

境内に入ろうとして、最初に出会ったのがこの碑でした。

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僕は、まだ秩父事件について、認識できていない。
「歴史」は後から書かれたもので、
「起こったことそのもの」ではない。
だから、どこまでいっても、その場にいなかった者には、ちゃんとはわからないのだと思う。
ただ寄り添うことはできるから、耳を澄ましていきたい。

あらためて、思う。
人間には限界がある。
その上で、世界を認識する、ってどういうことだろうか、と。

頭で考えることを超えて、
感じたい。
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by kkiyono-lp | 2012-10-06 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

秩父札所巡礼⑯ もう一度、ひらくために ~札所十四番 長岳山 今宮坊~

旗下山 慈眼寺 から

札所十四番 長岳山今宮坊 へ

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ご本尊は、聖観世音菩薩 おん まか きゃろきゃ そわか


その元の名は、
長岳山正覚院金剛寺今宮観音堂。京都の聖護院の直末のお寺。
明治の神仏分離までは、かつては近くにある今宮神社と一体であったということです。

聖護院とは、本山修験宗総本山。

あらためて、「修験道」とはなにか、を聖護院のWebサイトからひいてみると。

修験道のはじめ
日本人は昔から山には神々が宿ると信じ、山の神を信仰して来た山岳信仰、自然崇拝に源を発した民族信仰を持っています。
これは日本の国土が山に覆われ、四季折々に変化する大自然と信仰が結びついていたからです。
山自体をご神体(法体)として拝むことに始まり、山の中、つまりご神体の中に入って修行することにより呪術的な験力を得る事を望んだのです。
また仏教が伝えられると仏教と融和し、神道・儒教・道教・陰陽道等をも融合して仏教的神道的色彩の濃い日本独自の神仏習合・権現信仰の色彩が強い修験道が完成されて来ます。
修験道では今から約1300年前に誕生された役行者神変大菩薩を開祖と仰ぎ、聖護院では平安期の高僧、第5代天台座主智證大師圓珍を中興の祖と呼んでいます。
修験道は山岳崇拝の精神を基とし、厳しい山々で修行し、困苦を忍び、心身を修練し、悟りを開いて仏果を得る、という出家・在家を問わない菩薩道、即身即仏を実修する日本古来の宗教です。―聖護院門跡Webサイトより

山々をめぐり、験力を得る。
数年前には全く知らなかった修験道ですが、日本中歩くと、様々な影響を与えていることを知ります。
そもそも、日本の仏教、神道は、仏教が日本に伝来して以来、明治になるまでほとんど渾然一体となって歩んできたといえます。
神仏習合です。
最近思うのは、神仏習合の精神を深く理解し、頭の理解を超えて、体感しだす領域にいきたい、ということです。
僕たちの思考というハードウェアは、「物事を分解して理解する」ということにむけて教育されています。
しかし、分割不可能な渾然一体としたものを「全体として把握する」ということは教育されていないと思います。
むしろ、そのような全体として把握する能力は軽んぜられてきたのではないか、と思います。
神仏習合を、思考で理解するのではなく、実感として把握するとき、
日本的な・この島々に根ざした「自然との調和」への道が開けるのではないか、と希望を持っています。

今宮坊さんは、秩父の深い地層にある、修験道・神仏習合・蔵王権現信仰の大拠点だったということでしょう。

秩父三十四観世音霊場めぐりも、当初は、より修験道の要素の強いものだったろうと想像できます。
いままで、熊野古道や、富士山の村山古道などの古道を歩かせていただきましたが、
秩父にも巡礼古道があり、この巡礼では、出来る限り古道をあるいています。
古道を歩いていると、巡礼は、一つ一つの札所に到着することだけに目的があるのではなく、
歩いている一歩一歩が巡礼であることに気づきだしました。
一歩、一歩すすむごとに、自分が秩父という土地の霊性と踊っているような感覚が生まれてきます。
道を歩むとは、本来そのような霊性の高まりへとむけた道を歩むことであるのかもしれません。

そして、さらに思うのです。
一人一人の巡礼者は、それぞれの想いを持って巡礼します。
その巡礼によって、各々の願いの成就が祈願されます。

そして、そのように、巡礼者が巡礼することで、
秩父という土地そのものの霊性も高まってくるのではないか、と。

1234年に「十三権者」が、はじめて秩父を巡拝して霊場を開いた。
同じ事を人々が繰り返す。
そうすることで「霊場を開く」ということを再生している、といえるのではないか。と。

日本のお祭りの中には、古事記や日本書記にある神話を再現するような祀りがあります。
またその神社の縁起を再現するお祭りや、お寺やご本尊の縁起を再現する縁日があります。
そのように考えると、祭祀とは、再生の儀式という側面があります。
巡礼もそうかもしれない、とふと思ったのです。

この秩父巡礼は、秩父の奥深くの水脈へと、
螺旋状に下りてゆく階段をゆっくり降りていくような感覚です。


勢至菩薩 おん さんざんさく そわか

阿弥陀三尊の右脇侍で、仏の智門を司り、衆生の菩提心を起こさせる。智慧の光を持って一切を照らし衆生が地獄・餓鬼界へ落ちないように救う菩薩。大勢至といわれる所以は多くの威勢自在なるものを「大勢」、大悲自在を成し遂げる(果)に「至」るから採られていると思われる。―Wikipediaより
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by kkiyono-lp | 2012-10-05 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

秩父札所巡礼⑮ 近くて、見えない道の中へ ~旗下山 慈眼寺~ 

お彼岸なので、たくさんの方がお寺に来ています。
野坂寺をあとに


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札所十三番 旗下山 慈眼寺 へ

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ご本尊は聖観世音菩薩 おん まか きゃろにきゃ そわか

ここは一番馴染みが深いお寺。
なんて言ったって、このお寺にある幼稚園に通っていたから。
しっかりは覚えていないんだけど、
幼稚園のころ毎日?お寺の中で正座をしていた思い出があります。
そういう時間が毎日あったと思います。

それから25年の月日が流れ、ついに歩いて参りました!
感慨深い!

「旗下山」ってなんの旗のことか・・・それを知った時には、ほんとうに驚いた!
なんと日本武尊(やまとたけるのみこと)の旗なんですよね。
日本武尊が、この地に来たとき、慈眼寺がある場所に陣の旗を立てた。
だから旗下山。
こんなうちの近くに、日本武尊が!と。
秩父には結構、日本武尊に関するお話がたくさんあります。
この島国の地中には、たくさん神話が眠っている。
そして、いまも僕らはその土地の上に住んでいる。
そういうことに、とっても驚きと可能性を感じるのです。



慈眼寺で有名なのは、
これですよね。

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これ、ほんとうに、似てます。
『千と千尋の神隠し』の「め」の看板。

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慈眼寺は眼のご利益があると言われていて、
この絵馬は本堂の東側にある瑠璃殿薬師堂の絵馬です。

薬師如来 おん ころころ せんだり まとうき そわか

よく「瑠璃」ってききます。「瑠璃色の地球」とか。
薬師如来の正式な名前は、「薬師瑠璃光如来」
東方浄瑠璃世界の教主なんですね。
・・・「浄瑠璃」ってここから来てるのか!?

中世末期ごろの御伽草子の一種『浄瑠璃十二段草子』(『浄瑠璃物語』。浄瑠璃御前(浄瑠璃姫)と牛若丸の情話に薬師如来など霊験譚をまじえたもの)を語って神仏の功徳を説いた芸能者にあるとするのが通説であり、「浄瑠璃」の名もここから生まれたものである。―Wikipediaより

おおーなるほど。
鞍馬にいた牛若丸。
牛若丸は天狗に武術を教わった。
天狗は半増坊。半増坊は、武家社会の台頭とともに流行した臨済宗・禅宗の鎮守。。。
うむうむ。
だんだんわかってくると、
張り巡らされた見えない回路が見えてくるようです。

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幼稚園が隣接しているので、たくさんの園児が境内にはいて、
和な彼岸の風景でした。
ちょっと小休憩。

さて、札所十三番には一切経蔵というものがあります。
この中には、お経が回転する経庫に沢山おさめられていて、
それをまわすことで、お経をよんだことと同じ徳が得られるというもの。

そしてその周りを囲むように、十三体の像が。
これが、文暦元年1234年秩父札所を開いたとされる、「十三権者」だったとは、秩父今宮神社の塩谷宮司からfacebookで教えていただき、はじめて知りました。

十三権者とは、
熊野権現・蔵王権現・妙見大菩薩・善光寺如来・閻魔大王・倶生神・花山法皇・白河法皇・徳道上人(長谷)・性空上人・医王上人(春日開山)・良忠僧都・通観法印

!!!!
・・・・すごい!
秩父って、一体どんなとこなんだ!?あらためて!
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by kkiyono-lp | 2012-10-04 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

秩父札所巡礼⑭ あたらしい関東観 ~札所十二番 仏道山 野坂寺~

常楽寺から 札所十二番 仏道山 野坂寺 へ。

彼岸あけ間近。秩父は朝夕急に涼しくなりましたが、まだ昼は暑い。

野坂寺は、母の実家のすぐそばなので、
ずっと身近なお寺。
あらためて、歩いて巡礼道をまわることで、どんなことがおこるかな、。


まず、驚いたのは、
常楽寺を出てすぐに、「成田山」があること。
昔から、知ってはいたんだけど、確かに、それは「成田山」だったんだなぁ。

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千葉県の大本山成田山の縁起

成田山新勝寺は、天慶3年(940年)寛朝大僧正によって、開山されました。
寛朝大僧正は、朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開
眼された不動明王を奉持し難波の津の港(現大阪府)より海路を東上して尾垂ヶ浜
(千葉県 山武郡横芝光町)に上陸、更に陸路を成田の地に至り、乱平定のため平
和祈願の護摩を奉修し成満されました。大任を果たされた大僧正は再び御尊像と
ともに都へ帰ろうとしましたが不思議にも御尊像は磐石のごとく微動だにしません、
やがて「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」と
の霊告が響きました。
これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を
授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山されました。―大本山成田山Webサイトより


「平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された不動明王を奉持し」。
すごい話ですね。私たちがいつも何気なくみているものの奥には、
こんな物語があるとは。東国鎮護の霊場。

高校生のとき、世界史選択で、受験勉強も世界史。
日本の歴史は中学でおわり。しかも、ほとんど忘れている。
だから、いま、どんどん断片的に歴史を把握してパズルみたいに頭がなっています。

平将門って、ほんとうに歴史上で大きな意味をもっているひとなんだな。

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平 将門(たいら の まさかど、-將門)は、平安時代中期の関東の豪族である。
平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。桓武天皇5世。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国衙を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使し、反りを持った最初の日本刀を作らせたとも言われる。―Wikipediaより

関東の独立!?「新皇」これはすごい話だ。
歴史はいつもまっすぐに進まない。
独立しようとする人もいた。
神田明神に祀られているのは、平将門なのか。
なんだか、大宰府天満宮の菅原道真みたい。

平将門の乱平定をきっかけに、不動明王が鎮座してはじまった、成田山
平定された平将門を祀ってできた、将門の首が祀られた岐阜県大垣の御首神社、将門終焉の地・茨城県坂東市の国王神社、そして現在の首都東京の神田明神、築土神社。。。

平けくするものとまつろわぬもの。

調べてて、なんか、ほんとすごいな、って思うのは、
江戸総鎮守 神田明神 のご祭神が
大国主命、少彦名命、そして平将門、ということ。
みんな天津神じゃない。江戸とは、もともと、そういうところ、なのか。
これは、東京観がかわる。
ということは、東京を中心とする、関東・東観がかわる。

秩父は、関東平野の奥。
奥に何があるのか、さらに目を凝らしてみよう。
小さな声をきく耳で進もう。


成田山をこえて、羊山沿いの細い道を進んでいく。
そうすると、こんな看板が。


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ここで、まさかの「山の神」
この場所は、母の実家からあるいて10分くらいのところなのに、全然知らなかった!
でもこの場所に出会うためには、いろんなところに旅する必要があったんだろう。
いまがもっともふさわしいとき。

急な峠を登るとそこには、


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大山祇神社。ご祭神は、大山津見神(おおやまつみのかみ)
伊弉諾大神と伊弉冉大神の間に生まれ、富士山の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)伊豆半島・大室山の磐長姫(いわながひめ)の父。
大山津見神は山の神。「津」はひらがなの「の」。「見」=「み」は神霊のことなので、
「偉大なる山の神霊」ということ。Great spirit of mountainか?こうすると、ほんとネイティブアメリカンのスピリットに似てます。

この場所は、札所十二番の少し山側にあたるところ。
野坂寺と関連深い。というか、共にあったんだ。
看板にある、思いやりの木を植えたのが、野坂寺の和尚さん、というところに現れている。


そうかー、自分のなじみ深いお寺の裏には、山の神様が祀られていたんだなー、と感慨深く、

札所十二番 仏道山 野坂寺 到着。

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ご本尊は 聖観世音菩薩 おん まか きゃろにきゃ そわか

こちらのお寺の縁起もおもしろいです。

昔、甲斐の国の絹商人がいまのお寺があるところを通りかかったとき、山賊に襲われた、南無観世音を唱え続けたら
肌に身に着けていたお守りが輝き、賊どもは眼を射られて逃げ去ったとのこと。
そして観世音様に感謝してこの地にお寺を建てた、ということです。

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この縁起の絵を見ると、僕はラピュタの最後の方のシーンを連想します。
「目が、目が!」

まばゆい光に目を射られる、という「奇跡」は、
全世界共通じゃないかと思いました。
それは「光」の性質。まっすぐに射る。物凄い早さで。
それが光。

「この愛はメッセージ!祈り!光!!つづきをもっときかせて!」小沢健二/戦場のボーイズ・ライフ
この歌詞って、すごい。
なんだか、巡礼的?では。

お寺や神社の縁起は、ほんとうに面白い話がいっぱい!
僕たちのご先祖様が、どのように物語を伝えてきたか、
そして、世界をつくってきたか、体温をもって感じられる!
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by kkiyono-lp | 2012-10-03 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼

二〇一二年 新暦 神無月一日

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中秋の名月を明けて、
新暦 神無月一日

倭姫宮に歌の奉納をされる方と一緒に、
参拝に行かせていただきました。

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嵐のあとで、ちらばる枝、葉の参道。

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伊勢に住もうと想ったのも、
この倭姫宮からでした。



台風一過の禊払え、大龍過ぎ去りし後の伊勢にて、倭姫宮詣。


すてきな歌にあわせて、踊らせていただきました。
太陽と月、二つの大変貴い珠を奉納させていただくような踊りでした。

そして、ほんとうの美しい珠は、己の中に在る、ということを思い出させていただくような踊りでした。

ほぼ5年間、踊れなかった僕が、
2012年3月11日、優しい歌に身を任せて、
踊り切ることができました。

優しい歌を歌う方と出逢わせていただくことで、
もう一度踊れるようになりました。

自分の中で、そよぐ風。凪。
うねる蛇のような力。
かたさとやわらかさ。
それを感じて、踊り始めています。

またどなたかと出逢えることで、踊りがうまれてくるでしょう。

それがとっても楽しみなのです。

踊りを踊れなかった時間。
踊りがやってきた瞬間。
どちらも、とっても大切でした。

踊り終えたら、「いのちの宝物」が現れました。


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美しい。


ありがとう。
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by kkiyono-lp | 2012-10-02 09:30 | 日読み・月読み