歴史を語るということ

昨日は、京都最終日で、久しぶりに個人行動しました。

グループワークはグループワークでいいとこがいっぱいある。

一方で、個人になって新しい縁に出会わせていただくように動くということは、

結構どきどきですね。 


「西海岸」と呼ばれる場に泊まらせていただきました。

京都の素敵な方々と一緒にご飯をいただいたり、

奈良のお酒を飲んだり、

韓国の虫の水煮を記念に食べさせていただいたり、(結構ハードでした。)

本当にいい方々に引き合わさせていただきました。

これも、たくさんに伸びる縁の筋に自分がのさせてもらっているからだと思います。


たいじさん、大文字の焼いている場所まで連れて行ってくれてありがとう!

本当にパワーのある場所でしたね。

いろんなお話ありがとうございました。

本当に、いろいろ心に触れて、山道が楽しかったです。

また、会いましょう!



「西海岸」にすんでいる番匠さんと夜な夜なまではなさせてもらいました。

本当に大事な視点をもらいました。

それは歴史について学ぶことの重要性、語ることの必要性でした。

僕には、まだこの視点が足りないようですが、気付いてよかった。

様々な出来事にある、面々と流れた時間や思惑、

欲望を見つめることは大変重要だと思いました。

それがあって、今があるわけですから。

歴史に関して、決して無関心にならないことが本当に意味を生きることにも重要でしょう。

ありがとうございました。 本当に楽しかった。

また会いましょう!


帰りのバスで読んでいた、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャにイヴンが語る場面が

あまりに自分が昨日語られた場面とにているようで、

驚きました。 

こういうのは、自分がそういう刺激を受けたから、

そうやって読もうとしているだけかもしれませんが。


これは、また新たな始まりだと思います。

知ることとはなんなのか。 それに対して生きることとは、存在としてあることとは何なのか。

今の自分なら、ちゃんと向き合っていけそうです。


写真は西海岸にすんでいるうーぱーるーぱーです。

ぴんくいです。

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by kkiyono-lp | 2006-09-27 19:52
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