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秩父札所巡礼㉒ 水と、死と、生と ~札所十九番 飛淵山龍石寺~

札所十九番 飛淵山龍石寺

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あめつちを 動かすほどの 龍石寺 参いる人には 利生あるべし

天地を動かすほどの!

このお寺は、大きな岩盤の上にある。

このお寺の縁起。
昔、ひどい日照りがつづき人々は飢えと渇きで苦しんでいたとき、この地を訪れた弘法大師が雨乞いの業法を修したところ、突然大岩が二つに割れ大きな竜が天に昇った。間もなく大雨が降り、すべてのいきとしいけるものの飢えと渇きは癒された。というもの。


ほんとうに、この「龍」というものの存在。
とても重要だ。

古から人々は、ある時には、大地から天に上り、天から天恵としており、大地にもぐり、また川や滝となって現れ、大海へと旅をする水の動きに、龍をみてきた。

高天原に坐しまして
天と地に御働きをあらわし給う龍王は
大宇宙根源の御親の御使いにして
一切を産み 一切を育て
万のものを御支配あらせ給う王神なれば

龍神祝詞のこのくだり、まさに、万物の命を支える「水」そのものを讃えているようにさえ感じられる。

雲に、天恵に、龍をみる、心。

その心に一歩でも近づきたい。

ご本尊は 千手観世音菩薩 おん ばざら たらま きりく そわか
地獄道の衆生を、その御手で救い給う。
こちらのご本尊は、空海のつくりで、京都から飛んできたという言い伝えもある。

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大変興味深いことに
このお寺には三途の川の奪衣婆を祀る三途婆堂がある。

奪衣婆(だつえば)は、三途川(葬頭河)の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆。脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆(しょうづかのばば)とも言う。奪衣婆が剥ぎ取った衣類は、懸衣翁という老爺によって衣領樹にかけられる。衣領樹に掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。
―Wikipedia より

人は誰しも、この肉体から離れていくときがきます。
死んだら、どうなるのか?
それは、人間がそこを通過しない限り、実感することができないことなのでしょう。
ホモサピエンスが、見えないものに対して恐怖や不安を持ち始めたときから、いまにいたるまで続く、
「死といかに向い合うか」ということ。
「死といかに向い合うか」それはまさに「生きることとどう向い合うか」ということ。

ふと、立ち止まれば、私たちは、いかにして生まれ、いかにして死んでいくか、わからない中にいる。
あらゆる生と死、発生と消滅の間で明滅するいのち。
あらためて、それを見つめたい。
そして、そこから、今日という日を、平和で健やかで自由にいきるために、その恩恵が世界に広がるためになにをすべきなのか、感じて、動き出したい。


水と、死と、生と。

絶えず共にある、わたしたちをつくるものを、しっかり感じたい。
by kkiyono-lp | 2012-11-22 22:34 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼
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