秩父札所巡礼⑦ 自然とつながる智慧 ~札所五番 小川山語歌堂~

さて、日暮れも近づく十六時すぎ。
札所四番 高谷山金昌寺

から


札所五番 小川山語歌堂 へ。

札所の納経所は十七時まで。さあ、間に合うのか。

間に合うぜ!

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語歌堂は、細い道に面した山門をもった、かわいらしいお堂でした。

正式には、小川山長興寺語歌堂となるでしょうか。


こちらのご本尊は、 准胝観世音さま という観音様。 はじめて聞くお名前でした。

准胝観観世音菩薩とは、六道では人間道にお姿をあらわし、

日本では「准胝仏母」、「准胝観音菩薩」、「准胝観世音菩薩」、「天人丈夫観音」などさまざまな呼称がある。異称のひとつ七倶胝仏母(サプタコーティブッダ・マートリ)とは「七千万の仏の母」「過去無量諸仏の母」という意味で、この仏母(これは女性名詞である)が、人を悟りに導いて数限りない仏を誕生させる仏教の真理の擬人化であることを示す。―Wikipediaより

おん しゃーれい しゅーれい じゅんてい そわか

仏教の心理の擬人化。「七千万の仏の母」。
仏を誕生させる、仏教の教え・心理を「母」とした。のですね。

人は、様々な時に、様々な障害やいままでの枠を超えて、
成長していきます。
そして、いままで、行くことができなかったところにいくことができるようになったり、
見えなかったものがみえるようになったり、
あるものが、いままでまったくちがうようにみえるようになったり、します。
そのとき、外見的には同じ人間にみえるけど、実は「新しく生まれている」「新しく生まれ変わっている」といえるかもしれません。

「生まれ変わり」「生まれ直し」を想うと、おのずとそのきっかけとなる「死」をおもいます。
死ぬことがあって、はじめて生まれ変わる、「黄泉がえり」がある。
だから、新しい意識が生まれるということは、いままでの意識が死ぬことでもあるかもしれない。

経験を想い直してみても、いままで乗ってきたレールの上の意識で成長していくこともあれば、
まさに、一度死ぬようなこともあった気がする。
でも、死んだ意識の亡骸は、つぎの意識の肥やしになって、しっかりと受け継がれている。

「死」と「生」を断絶とみるか、一つのゆるやかな円とみるか、観方の違いがある。
宇宙に、断絶は きっと、無い。


梅原猛先生の『日本冒険』では、白装束について書いていて、
白装束はまさに、死者の衣装。
その白装束を着て、巡礼をするということは、
まさに、一度死ぬ、ということ、と。

「日本には雪が降る。山々に雪が降りつもる。私は白は雪の連想ではないかと思う。日本人は生死を四季の循環と同じように考えた。
冬になると木々は葉を落とし、小動物は死し、熊等は雪の中で冬眠する。雪は生きとし生けるものの死を意味するのであろう。このような雪の色が死の色となり、
白装束は死出の旅路の衣装となったのではなかろうか。」
「四国八十八個所巡りや、西国三十三個所巡りなど総ての霊場巡りは、死・再生の儀式なのである。生はそのまま放置すると、この世のいろいろなものに穢され、その力を弱める。こういう穢れた生を洗い清め、弱くなった生の力を強めるために、人は、時々死なねばならないのである。」梅原猛『日本冒険 一 異界への旅へ』より

語歌堂の縁起。
当山の大旦那本間孫八富貴なれども歌道に暗きを憂い此御堂にこもりて祈る。時に不思議や一人の旅僧現はれ共に通夜しながら和歌の道を懇に教ふ。これ全く観音の権化なりとて夫より此の御堂を語歌堂と称ふ。『秩父霊場三十四ヵ所納経帳』秩父札所連合会 発行

この旅の僧は、聖徳太子であったともいわれています。

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縁起を読んだときに、「昔の人にとって、歌を詠むとはどいうことだったのだろう」と。
それは、ただの趣味をこえて、自然や大いなるものと繋がる道だったでしょう。
口に出した言葉が、世界にとけて、実現する
口は私たちの内側にあるものが外側の世界で実現するためのゲート。

自然といかに繋がるか。
自然の法にいかに沿うか。
その智慧は、この島国に沢山眠っている。
それを、一つ一つほどいていきたい。呼び醒ましたい。
この体と心と魂を通して。

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初日の巡礼は、ここまで。
こうやって一つ一つ振り返ってみると、
それぞれのお寺に本当に個性がありました。
それは彩。美しさ。
この島国の深くへつながるたくさんの道。
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by kkiyono-lp | 2012-09-24 18:50 | Earth Pilgrim 秩父札所巡礼
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