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玉置神社

新宮で、たくさん素晴らしいご縁をいただきました。
満月の翌日、バスで熊野本宮大社へ。

しかし、昨年の夏にその名前を知ってから、ずっと心にひっかかっていた、玉置神社様を参拝させていただくことに決めました。







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熊野川にのぼったばかりの朝日が差し、水面が金色に幽らめく。烏たちが一斉に舞う。






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「玉置神社様は数年前に、御鎮座2050年祭をしたんですよ」と十津川村で50年以上タクシーを運転していらっしゃる運転手さんが教えてくださいました。

参道を歩かせていただきながら、思ったこと。
なぜ、ヒトは古来から山に入って、祈り、儀式を行うのだろうかと。

私たちヒトの脳は、認知考古学からすれば、ホモサピエンス・サピエンスが現れた時には、すでに現代人と同じ脳になっていたということです。だから、古代のヒトと現代のヒトは、脳自体には、ハードとして能力の差はないといわれています。
古代のヒトが、素朴であったから、山に入っていき、そこで祈ったり、儀式を行いはじめたのではないと思うのです。
ヒトはいつでも、目の前に現れる様々な事象にむけて、生きていくために、生き通すために、表現や行為を己のうちから産み出し、世界に顕していきます。様々な幽顕のモノと出会うたび、世界の対称性を保とうと努力をし続けてきました。
人間の歴史は進歩ではなく、何を大事に思い、それを成すためにどのような手段をとるか、の変化の顕れであると思います。

2050年前、崇神天皇の世に、玉置神社が鎮座されたとき、働いた認識、感性はそれこそヒトの最先端であると思います。
古代からの人の知恵が貴いのは、自然と深く接し、五感と直感を全開にし、世界を見つめた、ヒトの最先端、最結晶度の知恵であるからです。

多くの神社様やお寺様、修験の場などがそうであると感じます。
































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境内では、鹿さんや狸さんにであいました。動物たちに出会うとなぜか、興奮し、とても嬉しい気持ちになります。あまりに普段、ヒトばかりの環境にいるからでしょう。

本当のことを見つけたくて旅に出る。
もし、本当のことを見つけたら、それをしっかりと抱いて、日々の中で大事にあたためなければなりません。
by kkiyono-lp | 2012-02-09 14:41
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