久しぶりのメガネ紛失・村上龍『半島を出よ』

気付いたら、メガネがなくなっていた。
どこでなくしたのだろうか。
おとといの時点で、すでになかった。
うーむ。

自分は元来、なくし物をしやすいタイプで、
特にメガネを、すごいペースでなくすことが以前あった。
そのときは1メガネが一ヶ月持たないことも多々あった。
あとは、酒の場で踏み壊すこともあった。
これは、メガネをかけたまま、食事をすることができないから、
どうしても外さなきゃいけないので、起こってしまう事態だ。

といって、あんまり、ネガティブに考えすぎても、
メガネは帰ってこないだろうし、
いいこともないだろうから、
新しいメガネを買うことにします。
4月ですし。


今日は、村上龍の『半島を出よ』を読みきった。
高校のとき『コインロッカーベイビーズ』を読んで以来、
集中して、村上龍を読んでいた時期があった。
20歳になった瞬間には、西武線のなかで、『五分後の世界』を読んでいた。
『愛と幻想のファシズム』では、様々な描写の精密さにやられた。
『希望の国のエクソダス』は、仲間から借りたまま、返しそびれた。

でも一時期から、彼の文体がまぶしくて、チカチカして、
その外に発する力が強くて、読むのがつらくなった。

でも、今年の2月にアメリカにいくときにまた急に読みたくなった。
とくに『半島を出よ』は、岡山駅の新幹線乗り場の本屋で表紙を見たときから、
あー、読みたい。と思ってた。

ニューヨークで『フィジーの小人』を読んで、
帰ってからは、『半島を出よ』と同じ登場人物が出ている『昭和歌謡大全集』を読んでから、
『半島を出よ』を読んだ。

読んでいて、村上龍は「仕事」をしている人だな、と思った。
彼にしかできない仕事がある、と思う。
あらゆる人の書いたものを読んだことなんてまるでないが、
村上龍には村上龍ができること、すること、していることがあると思う。
書いてあることが、その人の思想ならば、それに対し、首を縦に振れないことも多々あるが、
「提示を行なう」ことはきっと否定できない。
いまのところ、否定できない。

様々なテーマが含まれていて、描写は緻密で、
場所性や人間の差異、その裏の共通性がダイナミックだった。
「やらなければならない何かをみつけること」
「なにかを選ぶことは、何かを捨てることだ」―『半島を出よ』より

写真は、自分の部屋の岩塩のソルトランプと『半島を出よ』下巻。
こんな灯りの中で、夜は寝たりします。

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by kkiyono-lp | 2006-04-04 03:06
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