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論理学の彼岸としての彼、よさこい、No.10

2月28日という日は、その日にやらなければならないことの80%以上をクリアできたという意味で、彼には特別な日のように映った。
さて、彼はこの日のことを将来覚えているだろうか。
答えは、推し量って否だろう。
日々の物理的な蓄積の中で、きらっと光る日のことも、気づけば何者かが記憶の物置小屋にしまってしまう。
そして、彼は後に、その物置小屋にきらっと光る日々が、「あるにちがいない」と想像し、心躍らせるようになる。


ウィトゲンシュタインさんが何を考えていたか理解するための努力が、彼が最近始めたことの一つだ。
でもウィトゲンシュタインさんの考えていた事柄をわかるためには、フレーベさんの考えた論理学を念頭に置かなければいけないらしい。
論理的思考能力、その類の頭の回転速度が、力のない人が石臼をひくくらい遅い彼にとっては、自らを「論理学の彼岸」と考えるのは容易なことだった。
だが、彼岸からでもまだ帰ってこれる、と彼は信じた。
ザ・フォーククルセイダーズの「かえってきたヨッパライ」だって、天国から帰ってきたぜ。
なんたるパンク精神。
でも、帰ってこれるならそれは彼岸ではないのだ。
そこに川があるとしても、あるのは三途の川ではなくて、荒川とか利根川とかの類だ。


彼は今年はじめてよさこいの練習に行った。 なんか久しぶりに時間も空いて、踊りたいと強く思った。
もうこうなったら、体の水を一気に交換してやるぜ、という意気込みの下、いざ練習へ。
体、痛い。 筋、固い。 
心に身体がついていかない。
そして心も身体というお茶の間で、コタツにあたってみかんなんか食べているところに、お母さんが来て「あんた掃除してんだからちょっとどいて」といわれて、はいはいと動くような勢いだった。
だめだ。 踊れる身体を作らなきゃな。
だが、楽しかった。 踊れることが楽しかった。
練習したのは産霊(むすひ)という踊り。
最高。
おかげで、水も1リットル採れて、少しは水が入れ替わった模様。


体が痛かったけど、まだ終電まで時間があったから、バーにいく。
ハイネケンとNo.10というジンにライムを搾ってロックでのんだ。
No.10はここのバーテンが、以前彼がスコッチを立て続けに飲んだ後、締めとして出してくれた。 程よいさっぱり感があって、のみたいけどウィスキーはちょっとな、って時に彼には良かった。 そして眠くなったので、彼は勘定を払って電車に乗る。
そして眠る。


彼は、いまウィトゲンシュタインさんに関する本と村上龍の『昭和歌謡大全集』を読んでいる。 勉強の本と小説を併行してよむ。 バランスの問題。
幻冬舎文庫の『昭和歌謡大全集』の表紙のモップ、いいです。
by kkiyono-lp | 2006-03-01 07:15
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